岐阜家庭裁判所 昭和55年(家)48号 審判 1982年9月14日
申立人 三田佐智子
相手方 吉崎季夫
主文
財産分与として、相手方は、申立人に対し、金一一〇万円を支払え。
調停・審判費用は、相手方の負担とする。
理由
第一申立の趣旨
相手方は、申立人に対し、内縁関係解消に伴う相当額の財産分与をせよ。
第二申立の理由
一 申立人は、昭和四二年八月頃相手方と深い仲となり、同棲して内縁関係を結び、その後相協力し喫茶店を営むこととし、同四三年一一月頃又は同四五年一二月頃○○駅前で喫茶学院(喫茶店のウエートレス等の教習を行う)を開いた。その後次第に業績が挙がり、昭和四七年頃には岐阜市○○の○○前に喫茶軽食「○○○○」を、同五二年一月二四日には同市○○町通り○ビル内にコーヒー王室「○○○○」を各開店した。
二 申立人は、これら喫茶店の営業に関与し、その寄与するところは多大なものがあつた。
三 相手方は、○○前に別店舗を持つた頃から、従業員の若い女性との関係が絶えず、昭和五二年一月末頃には女従業員の母親が店に苦情を言いに来たりした。
四 こうした女性関係及び相手方が入籍してくれないことから、店の業績が挙つても、申立人は、相手方との内縁関係の前途に望みが持てなくなり、自活の道を求めることとして、昭和五二年二月八日に無断で家を出た。
五 財産分与請求権の存在
1 内縁関係が破綻解消するに至れば、内縁的夫婦関係によつて蓄積された財産は夫婦の共有財産として当然清算されるべきである。
2 本件における共有財産は、最終的には主に○○店に集約されているものというべく、その店舗の客観的価値は、これを取得するに要した諸費用より現在においては上廻ることが明らかである。しかるところ、その取得に要した費用は、保証金五〇〇万円、内装費約四〇〇万円、厨房道具類約二五〇万円、以上合計約一一五〇万円であり、これらは○○○○信用組合から申立人名義で預金担保に借入れた一一五〇万円を以て充てたものである。
尚、このほか一五〇万円(相手方名義で積金)と七七万七五九一円(申立人持出し)の計二二七万七五九一円が○○店を作つたころの申立人と相手方の預金総額である。
以上の合計は一三七七万七五九一円である。
そのほか喫茶学院の権利的価値は五〇〇万円を下らない。
3 そうすると、相手方にいくばくかの借財があつたとしても、内縁解消時の相手方保有財産は、現在の価値にして一、五〇〇万円を下らないから、その二分の一につき財産分与がなさるべきである。
第三相手方の主張
一 相手方は、国鉄○○駅前で喫茶学院を開いた頃申立人を知り、昭和四七年七月岐阜市○○のアパート二階一室で同棲し、一階一室で喫茶店「○○○○」を自ら経営したものである。
しかしながら、申立人との同棲は、いわゆる野合にすぎなかつたものであつて、結納も披露もなく、内縁というには至らなかつたものである。
二 昭和五二年二月、申立人は相手方経営のコーヒー王室「○○○○」の支配人山内道明を連れて駆落し、所在を晦ませ、相手方の営業に損失を与えたため、同店は二ヶ月後に閉店やむなきに至つた。
尚、申立人は、駆落に際し、喫茶店の売上金三一〇万円と相手方の預金一〇〇万円とを持去つた。
三 相手方は、申立人主張の各営業所開設に際し、内装改造費、敷金、什器備品代その他として約三一〇〇万円を要し、そのうち約二一〇〇万円は他より借受けた現金で支払い、残一〇〇〇万円余は未払いとなつている。又、上記出費に関し、申立人からの出損はなかつた。
第四当裁判所の判断
一 内縁の成立と解消一件記録によると次の事実が認められる。
1 申立人は、中学校卒業後繊維工場で二年程働いたのち、いわゆる水商売の世界に入り、スナックやトルコ風呂などで稼働していたものであり、相手方は、中学校卒業後上京して○○○○○○○○スクールで働きながら修業し、洋酒喫茶等の技術を習得して昭和四二年頃来岐したものであつて、無為徒食中申立人と懇ろになつて同棲するに至つたものである(同棲の始期やなれそめについては、当事者の言い分に喰い違いがあるが、少なくとも相手方提出の乙第一号証の作成日付である昭和四五年一一月二七日以前より岐阜市内で同棲していたものと判断される)。
2 相手方は、昭和四五年一一月二七日に岐阜市○○町×丁目×番地○○○ビル四階の一室を姉日野直子名義で賃借(敷金四八万円、賃借権の譲渡、転貸禁止)し、同年一二月頃○○○○○○○○学院(以下単に学院という)を開設し、自ら講師として生徒の指導に当るとともにこれを経営するに至つた(申立人は、その開業資金として自己がトルコ嬢をして貯めた一〇〇万円を提供したと述べるが、これを肯認するだけの証拠はない)。
その後、同四七年四月一五日、相手方は、同市○○○○×××番地の×のビルの階下一室を賃借(敷金五三万円、貸借権の譲渡、転貸禁止)して喫茶軽食「○○○○」(以下○○店という)を開店した(その階上の一室を貸借して申立人と相手方は同居した)。その経営は、申立人の協力もあつて順調に行き、申立人と相手方名義の預貯金も順次増加し、一〇〇〇万円を超えるに至つた。そこで相手方は同五一年九月二日に同市○○町×丁目××番地の○○○○ビルの一室を申立人を連帯保証人として賃借(敷金五〇〇万円、賃借権の譲渡、転貸禁止)し、多額の借入をして資金を注ぎ込み、同五二年一月二四日コーヒー王室「○○○○」(以下○○店という)を開店した。
相手方が専ら学院の経営に当つていたので、○○店、○○店の経営には申立人が相手方の内妻として専ら当り、その経理関係も掌握し銀行取引関係をも行つていた。
3 申立人と相手方の同棲は、婚姻届のなされていないのはもとより、婚約、結納、結婚式、結婚披露などの対外的公示行為は全くなく、正に相手方の述べるとおりずるずるべつたりと性関係に入り同棲生活を続けて行つたものであつて、その間にはつきりした結婚の約束が交わされた形跡もなく、むしろ申立人側の入籍(婚姻届)要求は相手方より拒否ないし無視され続けていたものであり、しかも相手方は申立人との同棲中にも学院の女事務員など複数の女性と継続的な性関係を持つていたものであるから、申立人の婚姻意思はともあれ、相手方の婚姻意思には疑義がないではない。しかしながら、その同棲生活は少くとも七年近くの期間に及ぶものであつて、しかも相手方はその間申立人を○○店賃借の保証人としたり、○○店、○○店の売上金管理や銀行取引(この点に関し、取引銀行である○○○○信用組合○○支店側では、銀行取引は主に申立人がしたこと、貸付交渉にも申立人が顔を出したこと、貸付担保の預金の名義人は吉崎季夫、吉崎佐智子、三田佐智子であること、申立人を相手方の妻と思い奥さんと呼んでいたが相手方より異議は出なかつたことを述べている)を申立人にさせたりしていたものであつて、申立人を単なる野合の相手として扱つていたのではなく、やはり事実上の妻として遇していたものと判断せざるをえない。したがつて両者の関係は事実上の婚姻関係即ち内縁と判断される。
4 しかるところ、相手方が申立人の入籍を肯えんじないこと及び学院の女事務員などと性関係を継続したことから、申立人は、相手方との内縁関係に絶望しこれを解消することを決意し、その間の心境を○○店の支配人山内道明に打明け、同年二月八日同人との新生活を始めるべく共に出奔し、以後同人と同棲生活に入り、現在では滋賀県内において共同で喫茶店を経営している。(申立人は年下の山内道明との同棲生活の破綻を虞れ、同人の調査、審問を拒否しているので、出奔の状況、現況などは判然としない。)
以上1ないし4の認定事実によれば、申立人と相手方との内縁関係は昭和四五年一一月頃から始まり、同五二年二月八日を以て解消したものと判断される。
二 内縁解消に伴う財産分与請求権
当裁判所は、内縁解消の場合も、協議離婚に準じ民法七六八条を類推適用し財産分与を認むべきものと考える。
ところで、本件において、申立人は、相手方との生活に見切りをつけ他男と共に出奔することによつて内縁関係を解消したものであるから、離婚慰藉料的財産分与や離婚後扶養的財産分与を求めることは信義則上許されないものと解されるので、以下においては、内縁生活の間申立人と相手方が共同で築き上げた財産のうち、申立人の持分と判断すべきものを内縁解消に伴い清算するものとしての財産分与について考える。
一件記録によると、次の事実が認められる。
1 昭和五二年二月七日当時の相手方の預貯金
同日、申立人が○○○○信用組合○○支店に対する相手方の債務一一五〇万円(元本)と相手方、申立人ら名義の担保預貯金とを相殺勘定した結果二二七万七、五九一円の払戻しを受けたので、申立人は内一五〇万円を相手方名義の定期預金、定期積金として、残りの七七万七五九一円を持帰つた。
(以上のほかに預貯金の存在を認める証拠はない)。
2 同年二月八日の出奔に際し、申立人は手元にあつた○○店、○○店の売上金一〇〇万円余を上記1の七七万円余とともに(計約一八〇万円)当座の費用とし拐帯した(以上のほか現金の存在を認める証拠はない)。
3 相手方経営の三店舗の同年二月八日当時の価値
学院、○○店、○○店の三店舗の建物賃借権は、いずれも権利金の授受もなく、その譲渡、転貸を禁止されているものであるから、それ自体に交換価値を認めることは困難であるし、又、それぞれの営業体としての価値も損益関係の主張、立証もなく不明である。ことに学院については相手方の個人的技能、才覚に負うところが多く、これを財産分与の前提として客観的に評価すべきものとは考えられない。
唯、少くともこれら三店舗の敷金合計六〇一万円は当時返還をうべかりしものとして存在したことは前記一2から明らかである。
そして○○店開業の際の負債が現在も計八三六万九六三〇円(内訳、○○○○○○○株式会社・エアコン及び工事代一七八万円、株式会社○○○○○○○○・パン代六八万〇四三〇円、〇〇・看板代三四万八〇〇〇円、株式会社○○○・食器代一八五万円、○○○・内装工事代三七一万一二〇〇円)残存していること及び三店舗全体の営業成績も申立人が山内道明とともに出奔したのちは必ずしも良くはなかつたことを考えると、その営業の価値もさしたるものとは言い難いと考えざるをえない。
次に、三店舗備付の家具、什器、商品等の価額についても、これを明らかにすべき証拠は存在しないが、いずれも消耗品であることからすると、投下資本(相手方は、三店舗開設に際し敷金、内装費、什器、備品代として計三一〇〇万円を支出したと主張している)を大きく下廻るものと考えられ。
るしかるところ、相手方は、○○店については、昭和五二年五月三一日の営業廃止に際し、その一切の権利を六六五万円で譲渡し、○○店については、同五六年一二月一六日の営業廃止に際し、その権利を四〇〇万円で譲渡しているので、同五二年二月七日当時も最少限それだけの価値はあつたものと推定される。その合計は一〇六五万円となる。これと敷金合計六〇一万円の総計一六六一万円より前記負債を控除した八二四万〇三七〇円が三店舗の最少限の価値ということになる。
そうすると、1の二二七万七五九一円、2の一〇三万円位、3の八二四万〇三七〇円の合計一一五四万七九六一円が内縁解消時における相手方の財産額ということになる。
そこで、申立人に分与すべき財産額について考えるに、内縁成立の経緯、解消の経緯、その間の状況、学院の経営から喫茶店の経営へと発展した営業は主に相手方の個人的技能と才覚によるところ。
大きく、その存在なしには考えられないこと、申立人の協力は何ら特殊の技能・才覚によるものではなく全く内縁の妻という範囲内のものと考えられること、その他諸般の状況に鑑みると、申立人への分与額は上記金額の四分の一の二九〇万円(万の位で四捨五入した金額)を以て相当と考える。
しかるところ、申立人は前記のごとく出奔に際し約一八〇万円の金員を拐帯しているので、これを控除した差額の一一〇万円の分与を受けることができる。
よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 笹本忠男)